プロフィール

平野裕加里

有限会社LIBRA代表、アナウンサー、プロデューサー

愛知県出身。南山大学在学中に日本代表派遣青年として「オペレーションローリー」に参加。パナマのジャングルで約3ヶ月間、世界中から集まった若者たちと、冒険活動やボランティアを経験し、様々な価値観を体感する。
1989年大学卒業後、CBC中部日本放送にアナウンサーとして入社。
司会や中継、インタビューなど、テレビやラジオの生放送を中心に経験。限られた時間内にわかりやすく伝える技術や、瞬時に判断して物事を進める対応力などを身につけた。
また、著名人5000人超へのインタビューから印象の大切さを学ぶ。
2004年に有限会社LIBRAを設立してからは、難病ALS啓発イベント「みんなでゴロンしよう!」や、「学ばない学び舎」をはじめとするイベントや、企業の周年イベントなど
各種イベント、式典の企画、制作、運営も行う。
また、PRや、企業の総合的なサポートを行うアドバイザーなど、活動は多岐にわたる。

平野裕加里 物語

音声でも物語を紹介しています

言わなくてもわかると思っていた

私は、CBC中部日本放送にアナウンサーとして入社しました。今でも現役で活動していますので、地元には私のことをよく知っている方も多く、丁寧な自己紹介をずっと省略してきました。
「何となく分かりますよね」といった感じです。
当たり前ですが、それでわかるはずもありません。他の地方の方や、年代によっては私が何者か全くわからない方も多いんです。そこで初めて、きちんと言葉で伝えなければいけないことに気づきました。
「平野裕加里」が、どのように出来上がったのか、どのように今に至ったのか、順を追ってお話しします。

音楽好きな子ども時代

小さい頃から音楽が好きで、テレビやラジオの歌番組はかかさずチェックしていました。中学生のころには、学校からの帰宅途中にガソリンスタンドから流れてきたクイーンの音楽に衝撃を受け、洋楽にハマりました。何を歌っているのか理解したいという思いから、英語が話せるようになりたいと思ったのもこの頃です。学校の英語の授業を真剣に学び、成績は常に上位。ただ、生きた英語を学びたくて留学したいと思っていましたが、うちにはそんな金銭的な余裕はありませんでした。そんな時に新聞広告で見つけたのが、後に私が参加することになる「オペレーションローリー」です。なにをするのかはよくわからなかったけど、「スポンサーがいるので参加費用はかからない」と知って、すぐに応募しました。小論文、面接、英語、体力テスト、水泳と、いくつかの審査を経て、私は合格できたのです。

パナマのジャングルでの経験

最終選考を突破したのは30人。いくつかのグループに分かれて、世界中に飛び立つことになりました。私の派遣先は中米のパナマ。当時、日本から何度も飛行機を乗り継いで24時間ほどかけて到着しました。そこで待っていたのは、想像を絶するタフな毎日。
パナマフェイズの参加者は60人ほど。米軍の兵士たちに、ジャングルでの心得や、さまざまなトレーニングを受けてからスタートです。毎日英語で、しかも炎天下、休みなくトレーニングやベースキャンプ作り。英語が理解できない私は、皆の話に入ることもできず、隣でなんとなく笑いながら話を聞いているフリ。

涙のカレー事件

そんなある日、英語が理解っできていなかった私は、食事の時間を間違えて、楽しみにしていたカレーを食べそびれてしまったことがありました。
空腹、英語生活のストレス、体はへとへと、そんな状態の私は、みんなの前でそれまで張り詰めていた糸が切れてしまって、大泣きしてしまいました。
周りのみんなもびっくりです。それまで感情を表したことがなかった私が、急に大泣きしたんですから。しばらく泣いて冷静になった時に考えたんです。
「なんで私は今日、カレーが食べられなかったんだろうか」
それは、みんなが意地悪で私に食べさせないようにしたわけではなく、私が食事の時間を勝手に間違えただけのこと。
「あれ、自分が悪いんだ。」そこで私が考えたのは
「これからは食事は一番に並ぼう。」
そのためには、時間を間違えないように、ミーティングの内容をちゃんと理解する必要がある。私は、わかりやすい英語を話す人を探して、ミーティングの後に、その人に聞くことにしたんです。その時に言われたことが、転機になりました。

うまく話す必要はない

「日本人のユカリが英語を上手に話すなんて、誰も期待していないよ。」
「だからめちゃくちゃでもいいから思ったことを話したり、聞いたりしてくれたら、僕たちも理解しようと努力するよ。そうやって話したらいいんだよ。」
と、言われたのです。
「ちゃんと話さなきゃ。」
「うまく話せないから黙っていよう。」
こんなふうに考えて話せなかった私の価値観を変えた出来事です。うまく話せなくてもいい。これは大きな気づきでした。国籍も性別も考え方身違う60人の若者たちと、ジャングルの中での冒険、ボランティアの経験は、私のその後の考え方や生き方の柱になりました。
その後、大学3年生の時には、同じプロジェクトが日本で開催され、私はサブリーダーとして参加しました。大阪から富士山まで東海自然歩道1200キロを2ヶ月かけて走破し、その途中には山伏の修行の道「大峰奥駆ルート」を修験道の僧侶たちと一緒に歩く経験もしました。選択肢があれば、楽な道でなく困難な方をー選んで、さまざまな経験をした学生時代でした。

アナウンサー試験が受からない

音楽が好きで好奇心旺盛の私は、マスコミで働きたいと考えていました。
中でもジャンルを超えていろんな人に会えたり、なかなか行けない所に行ける仕事として、アナウンサーになりたいと思っていました。特にラジオを持っている局に入れたら、大好きな音楽にも関われる。そう思って、就職活動を行いましたが、そんなに甘いものではありませんでした。
書類審査が通って、面接、カメラテストに進んでも、最終面接で不合格。
一番入りたいと思っていた、地元名古屋のCBCも、実は、アナウンサー試験も、一般職の試験も最終面接で落ちてしまって、アナウンサーへの道は、一度は閉ざされてしまったんです。私は、大学4年生の12月の時点では、リクルートに入社することが決まっていました。そんなある日、CBCで働いている、大学の先輩から電話がありました。

奇跡の敗者復活

「アナウンサーとして内定していた女性が一人辞退した。」
そこで、もう一度何人かに声をかけて、試験をするので受けてみないかということでした。ただ、その時に思ったのは、何度も同じ方達が試験を行い、同じ人(私)を見て不合格を出しているのに、今回は合格、なんていうことはまずないなと。でも、せっかくのチャンス、受けないで終わるのは納得いきません。
そこで「受けます!」と、返事をして、改めてアナウンサー試験に臨みました。
受けに来ていたのは7人だったと思います。そこから、カメラテスト、面接などを経て、最終面接は12月28日。このときのことは鮮明に覚えています。
これまでの面接で話していたことではなく、その時の心境を正直に話しました。
その結果、私はアナウンサーになれたのです。最強の敗者復活です。
その後、リクルートに報告と謝罪に行きました。その時の皆さんの対応も忘れられません。
「おめでとう!だってあなたはアナウンサーになりたかったんですもんね。
一緒に働けないのはとても残念だけど、応援するよ。がんばってね。」
と、拍手で送り出してくれたのです。なんて素敵な人たちなんだと感動しました。
こうして私は念願の、テレビ、ラジオ両方を持つCBC中部日本放送に入社しました。

アナウンサーとしての華やかな仕事

私は、入社した年の10月、自身の名前がついた、いわゆる冠番組で月曜から金曜までの帯番組を担当しました。新人異例の大抜擢でした。次の4月からは、夕方の情報番組「ミックスパイください(月~金)」のメインパーソナリティを担当。スタジオでのMCとして、さまざまなジャンルのゲストを迎えたり、中継コーナーを担当して、地元の方々と触れ合ったり、様々な経験をさせていただきました。
その後、ラジオの番組も担当します。中学生のころからハマった洋楽を紹介する番組では、
大ファンだったBON JOVIにインタビューすることができました。また、飾らない言葉で日常の話をする生放送では、たくさんの方と触れ合うことができ、街でも毎日のように声をかけられるようになりました。
通販番組も担当しました。「裕加里さんが紹介すると買いたくなる」と売り上げを順調に伸ばし、商品開発にも携わりました。かなりの高額商品をいくつも売った経験や、全国で1位の売り上げを出したこともあります。
朝の情報番組では、新聞を解説するコーナーを担当し、毎日様々なニュースに触れながら
専門家に話しを伺いました。また、劇団四季や声優に挑戦したり、全国ネットのドラマにエキストラ出演したり、等身大でさまざまな情報を伝えました。

いくつもの壁にぶちあたる・・

ただ、もちろん全てが順調だったわけではありません。私のキャリアは、トライ&エラーの連続でした。初めて3分の顔出しニュースを読んだ時には、マイクのスイッチを入れ忘れるという大失態。画面上では私の口がパクパクしているだけで、音が聞こえない。イヤホンから「カフカフ(マイクのスイッチのことです)」と怒鳴る声。
そこで初めて気づいた私は急いで、スイッチを入れ、最初から読み直しましたが、ニュースの時間は3分と決まっているので、最後まで読み切れず・・・・。
また、「何が言いたいのかわからない」とディレクターに叱られたり、インタビュー相手が思うように話してくれなくて、冷や汗を流したり・・
うまくいかなかったことを挙げればきりがありません。
その都度、「何がいけなかったのだろうか」「何が足りなかったのだろうか」と、悩み、考え、反省し、なかなか立ち直れないこともありました。

鍛えられた伝える力

ただ、こうした、テレビやラジオの生放送の番組を通して私の伝える力は磨かれていきました。何が起こるのかわからないという生放送。突発事項にも動じず、それを受け入れ進めていかなければなりません。
また、出演者や視聴者が何を求めているかを瞬時に捉え、的確に物事の情報や感情などを伝えなければなりません。
初めて会ったゲストの方に楽しんでもらうことはもちろん、その方の伝えたかったことをしっかりと伝えて満足してもらわなければなりません。
つまり、生放送では、毎日結果を出すことを求められました。
それを毎日のように繰り返すうちに私の伝える力はどんどん鍛えられていきました。

コンペに勝つ

そんなある日、私にこんな依頼がありました。
肩書きがアナウンサーなので、メディアの仕事以外にも、司会や講演といった仕事はそれまでも行ってきたのですが、私にプレゼン指導をして欲しいという依頼。テレビで、限られた時間の中で的確に伝えるというスキルを買われてのことでした。どうしても勝ちたいコンペがあるというのです。コンペということは、目的は、「伝える」ことではなく、
「コンペに勝つこと」「伝える」ことはもちろんですが、その先に相手を動かすことが求められます。そこで、私のこれまでの経験を全て伝えました。文章の構成、飽きさせないテクニック、聴かせる話し方、ジェスチャーや動き、目線の配り方といった技術的なことから、心の落ちつけ方など精神的なことを伝えました。
その結果、そのコンペに見事、勝つことができました。とても大きな案件でした。

伝え方のプロとして

その頃から、伝え方のスキルを学びたいという方が増えてきました。
例えば、上場企業の経営者が社員総会に向けて、パワーポイントの作成や、文章の構成、話し方、動きなど、トータルで指導をしてほしいという依頼。また、「ネイルグランプリ」というネイリストのプレゼン大会では私が指導を行なったチームが見事、全国優勝果たしました。その後も、様々な企業でのプレゼン研修や、経営者、起業家、士業や医師など、
人前で話す機会のある方や、セルフブランディングのための個人レッスンなどで指導を行っています。また、幹部やリーダーのための指導などでは、ただ伝えるだけでなく、心を動かすことで、組織づくりや、会社のイメージアップ、リクルート対策などにも役立てていただいています。

新たなチャレンジ〜学ばない学び舎

こうして「伝え方」「プレゼンテーション」などを企業や個人の方に教えるようになり、大学などでも講師をするようになりました。

もうひとつやりたいことがありました。それは、私の周りにいる素敵な人たちを紹介すること。メディアで取り上げられたいる人たち以外に、私の周りにはオペレーションローリーの仲間など、世界で活躍する、とても魅力的な人がたくさんいました。そういう方達の生き方や活動を知って欲しい。それが自分の知らない世界を知るきっかけになるのではないかと思い、ゲストを迎えて話を聞く「学ばない学び舎」をスタートさせました。

第1回は2013年11月20日、世界140カ国を取材しているフォトジャーナリストの桃井和馬さんをゲストに迎えました。これまでに様々なジャンルの方を迎えていますが、第3回のゲストとして迎えたのは、体がだんだん動かなくなる難病ALS当事者の方でした。その会が終わってから、別のALS当事者の方が、SNSにこんな書き込みをしました。

「6/21は世界ALSデーだそう。名古屋から何か発信できないかなぁ。でも僕は体が動かないし・・・」

こうして”ゴロン”は始まった

その投稿に、「じゃあ、体が動く私がやろうか。」
それがきっかけで、毎年開催している「世界ALSデーin Nagoya〜みんなでゴロンしよう!」を開催することになったのです。
ALSは、今でこそ特定の治療薬が開発されてきてはいますが、それでもまだ原因が解明できておらず、治療研究が望まれる病気です。たくさんの方に知ってもらうことで、治療薬開発の一助になるのではないかと考え、イベントを毎年開催するようになりました。
2015年の初回は60人ほどの参加者でしたが、10回目の2024年には5,400人の参加者。
しかも国内外の優れたイベントに与えられる「第10回JICEイベントアワード」の学生・NPO・団体部門で、最高賞の「ゴールド賞」を受賞しました。
「ずっと続けてくれてありがとう。」
「リアルで会えることがこんなに大きな力になるんだ。」
と、嬉しい声を多くいただきました。私がイベントを主催するなんて、キャリアのスタートの頃には想像もしていなかったことです。

グラミー賞の授賞式を生で観る!

想像もしていなかったことの1つに、「グラミー賞」を生で観る、という経験もあります。
音楽が大好きな私は、毎年グラミー賞はテレビにかじりついて観ていました。
どんな人がパフォーマンスをするのかで、今の旬がわかります。
受賞スピーチには、その人の人柄や時代背景も見えるし、何よりも、そのストーリーは感動そのもの。毎年、その日は仕事を入れず、最初から最後までずっと観ていました。
それをいつもワクワクしながら周りの人にも話していた私に、グラミー賞のチケットが舞い込んだのです。しかもそれは「第60回」の記念の回。ロサンゼルスではなく、ニューヨークで開催されました。ブルーノ・マーズ、レディ・ガガといった旬のアーティストから、U2、エルトン・ジョンといったレジェンドアーティストまで、私は夢のようなステージをこの目で見ることができたのです。やりたいこと、好きなことを言葉にして、周りに話すことで、夢が叶ったのです。

「伝える力」と「コミュニケーション」で、毎日を幸せに過ごす人を増やしたい

今私が関わっている仕事は様々です。
アナウンサーとして、自分が話す仕事。話をする人のサポートをする、教える仕事。
そしてイベントの企画、運営。その他にも地方創生のプロジェクトや、企業のアドバイザー、PRのお手伝いなど。これらは、私のこれまでの1つ1つの経験があって生まれました。
私の強みは、こうした自分の経験です。自分で経験し、悩み、考え、工夫してきたことを今後は様々な形で、社会に還元していきたいと考えています。